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インテリジェンスについて語ろう(6) ペルー人質事件は日本の完敗 - 大森義夫氏
2006年04月28日
{大森義夫}
昭和14年東京都出身。66歳。東京大学法学部卒。38年警察庁に入り、鳥取県警本部長、警視庁公安部長、警察大学校長などを経て、平成5年内閣情報調査室長に就任。9年まで宮沢、細川、羽田、村山、橋本の5代の内閣で室長を務めた。17年には外務省の「対外情報機能強化に関する懇談会」の座長として、インテリジェンス機関「対外情報調査庁」の創設などを盛り込んだ答申をまとめた。現、NEC顧問。


《1996年12月、ペルーの日本大使公邸人質が発生した。127日後、ペルー軍の強行突入によって事件は解決したが、独自の情報を持たない日本はまたも蚊帳の外に置かれた》

-- この事件は「日本の完敗だった」としていますね。

大森 そうです。当時の橋本(龍太郎)総理もそれは認めるでしょうね。

-- まず、犯人グループの「トゥパク・アマル革命運動」の情報がなかった。

大森 全然分からない。日本のどの組織も知りませんでした。アメリカに問い合わせて、ようやく分かったのです。当時、アメリカはフジモリ政権との関係があまり良くなかったのですが、ペルー軍関係者の中に、いろんなネットワークを持っていた。さすがだと思いました。

-- 解決策についても情報が無い日本には、ODA(政府開発援助)しかなかった。

大森 ODAを使うのは悪いことではありません。実際、外務省がODAを使って進めていた解決策が成果をあげつつあったのです。ペルーや周辺国へのODAをテコにフジモリ大統領を説得してもらい、強行突入をせずに犯人グループをキューバに出すという方法でした。橋本総理は人質の生命を最優先にする方針でしたから。私は強行突入の場合、最低でも人質の2割は犠牲になるだろうと考えていました(実際にはペルー側の3人が死亡、日本人人質から犠牲者は出なかった)。

-- それなのに、フジモリ大統領は強行突入の方針を貫いた。日本への事前の連絡はあったのですか。

大森 ありません。私は強行突入の直前に退官していたのですが、総理も官房長官も愕然としたと思います。結局、日本は、「テロは絶対制圧する」と言うフジモリ大統領の腹を読みきれなかった。トンネルを掘った強行突入のやりかたも全くの想定外でした。

-- アメリカは知っていたのでしょうか。

大森 (ペルーから)正規の連絡はなかったと思いますが、いろんな事を知っていたでしょうね。

-- 橋本内閣の時には、台湾の総統選挙をめぐって、米中が一触即発になった台湾海峡危機もありました。

大森 総理の危機感は大変強かった。「海峡が封鎖になったら、石油はどうやって運ぶのか」など、そういう研究は相当やりました。台湾については、私が持っていたパイプからの情報が、有効だったようです。

-- 台湾をめぐる緊張は現在も続いています。

大森 「台湾は中国の一部」という原則にとらわれて、インテリジェンスが現実を見ないのはいけない。台湾の、特に軍事力の研究を怠っていると、実際の危機に対応できなくなると思います。

2006年04月28日 産経新聞2面記事
インテリジェンスについて語ろう(5) 残念なオウム事件の対応 - 大森義夫氏
2006年04月27日
{大森義夫}
昭和14年東京都出身。66歳。東京大学法学部卒。38年警察庁に入り、鳥取県警本部長、警視庁公安部長、警察大学校長などを経て、平成5年内閣情報調査室長に就任。9年まで宮沢、細川、羽田、村山、橋本の5代の内閣で室長を務めた。17年には外務省の「対外情報機能強化に関する懇談会」の座長として、インテリジェンス機関「対外情報調査庁」の創設などを盛り込んだ答申をまとめた。現、NEC顧問。


《6000人以上の死者を出した阪神大震災の発生は平成7年1月17日の早朝。「(発生は)テレビで知った」という当時の村山富市首相の発言で、政府の危機管理体制に批判が集中した》

-- 首相になかなか情報が入らなかった。

大森 そうですね。「いったいどうなっているんだ」と批判を受けました。あのとき、(自然災害を担当する)国土庁には、当直がいませんでした。いや国土庁だけじゃありません。警察庁や防衛庁などには当直がいましたが、政府全体を見渡しても、ほとんどの役所には当直体制がなかったのです。

-- その反省から、内閣情報調査室の中に、5交代で当直体制を取る「内閣情報集約センター」ができた。ただ内調の中に設置することには反対されたそうですね。

大森 (自然災害の対策は)内調本来の仕事ではありません。インテリジェンスが内調の仕事なのですから。それに内調に回ってきたのは、「昔から当直がいた」という変な理屈からです。しかも、全く権限がなく、単なる”起こし役”でした。

-- ただ、阪神大震災では学んだことも多かった。

大森 民間の力を借りる重要性を知りました。官民一体というのはなかなかできないものですが、あのときはぱっとできましたね。みんなショックで大まじめだった。

《オウム真理教による地下鉄サリン事件などが起きたのもこの年だ》

-- この前年に、松本サリン事件が起きていますね。

大森 このとき、警察幹部はサリンなんて知らなかった。農薬だと思っていましたからね。知っていたのは自衛隊だけです。ただ、そういう研究に対する批判を恐れて、なかなか表に出てこなかったのです。だから(地下鉄サリン事件のときも)、政府に「化学兵器」という認識がなかった。アメリカは「これは大量殺戮だ」と大騒ぎでした。

-- オウムの事件は、国を揺るがす大事件だったと思いますが、内調は”カヤの外”に置かれていた。

大森 警察庁長官らが首相官邸に乗り込んで、直接、首相に報告していましたね。結局、「犯罪捜査だから警察がやる」という、”いつものやり方”でやったということでしょう。

-- ロシアや北朝鮮とのコネクションなど、オウムについては今でも不可解な事が多いとしていますね。

大森 これについては国を挙げて解明すべきだったと思います。国の基本が破壊されるという危機感があったのに、「情報」の共同作業ができなかった。国家の緊急事態だから、一緒にやろうという体制の切り替えができなかったのです。

2006年04月27日 産経新聞2面記事
日中対論(4) えげつない手法はね返せ - 金美齢氏
2006年04月26日
【胡錦濤国家主席の靖国参拝に関する発言】
《中国の胡錦濤国家主席が3月31日、北京を訪問中の日中友好七団体との会談で、小泉純一郎首相の靖国参拝を批判するとともに、「日本の指導者達が、A級戦犯の祭られている靖国神社に参拝することを、これ以上行わないということになれば、首脳会談をいつでも開く用意がある」と延べ、参拝中止が首脳会談再開の前提となるとの考えを示した発言。唐家璇国務委員も代表団に「これからの日本の指導者に対しても述べたものだ」と強調した。》


 日中友好七団体の訪中と、胡錦濤国家主席の講話で改めて感じるのは、中国はえげつないということ。中国は相手を見て態度を使い分け、自分達の言うことを聞く人には良い思いをさせて、そうでない人には思い知らせてやろうとする。自らを大国、地域のリーダーだと任じている国が、よくもこんなに露骨なことをやるものだと思う。

 ただ、招く方が招く方なら、行く方も行く方だ。七団体が中国でやってきた日中友好のパフォーマンスが、どれだけ日本人にアピールしただろうか。中国がえげつないことをやればやるほど、日本人は目覚めてきている。日中関係にとって今回の七団体の中国詣では、プラスよりマイナスが大きい気がする。

 特に団長の橋本龍太郎元首相がかしこまって胡主席の話を聞いている姿を見て、多くの日本人はかつて国会でも取り上げられた橋本氏と中国の工作員と見られる女性とのスキャンダルを思い出しただろう。

 胡主席が「次の首相も靖国神社に参拝したら首脳会談に応じない」という趣旨の発言をしたことも問題だ。胡主席の講話によって、ポスト古泉候補にとって「参拝しない」という選択肢は、自民党総裁選でのカードにならなくなった。靖国から距離を置く姿勢は、中国の影を感じさせ、マイナスになってしまうからだ。

 胡主席の講話は計算外れだった。中国は1996年、台湾の李登輝元総統が再選を目指した選挙の際に、いちいち介入しようとした。しかし、介入すればするほど李氏の人気は上がった。

 台湾に対する介入は逆効果になったのに、性凝りもなく日本の総裁選に干渉するのは何故か。中国のような独裁国家は、分かっていてもやめられないことがあるのだ。国民に強い対外姿勢を見せることでしか、権力を保持できないからだ。

 サッカーアジア杯での反日行為、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りに反対する反日デモ・・・と何度も映像を見せられれば、お人好しの日本人だって真実に気づく。

 日本は中国と首脳会談を行わなくても、何の痛痒もない。中国のえげつない手法をどう受け止め、はね返すかで「国家の品格」が問われる。外国に何か言われて、それによってすぐ姿勢を変えるようでは、自主独立の国とはいえない。(談)

{金美齢(きん・びれい)}
評論家、台湾総統府国策顧問。昭和9年、台湾生まれ。34年に留学生として来日、早大第一文学部入学。早大で20年以上に渡り英語講師を務める。夫は東京理科大教授、周英明氏。

2006年04月26日 産経新聞5面記事
日中対論(3) 原点戻り平和友好の道を - 中江要介氏
2006年04月26日
【胡錦濤国家主席の靖国参拝に関する発言】
《中国の胡錦濤国家主席が3月31日、北京を訪問中の日中友好七団体との会談で、小泉純一郎首相の靖国参拝を批判するとともに、「日本の指導者達が、A級戦犯の祭られている靖国神社に参拝することを、これ以上行わないということになれば、首脳会談をいつでも開く用意がある」と延べ、参拝中止が首脳会談再開の前提となるとの考えを示した発言。唐家璇国務委員も代表団に「これからの日本の指導者に対しても述べたものだ」と強調した。》


 今の日中関係は昭和47年に国交正常化したときの原点から大きく外れてしまっている。残念だし悲しむべきことだ。

 胡錦濤国家主席の「靖国参拝がこれ以上行われないなら、首脳会談をいつでも開く用意がある」という発言に対し、批判する声があるようだ。しかし、そうした批判は言葉の端々に言いがかりを付けているような感じがする。むしろ、胡主席がそう言わざるを得ない原因がどこにあるかということを、加害者である日本は反省すべきだ。

 小泉純一郎首相が「靖国参拝は心の問題」というなら戦争責任も心の問題だ。「話せばわかる」と言って何年が経つか。言葉だけで自分は日中友好論者だと言われても本当とは思えないだろう。

 日本遺族会長の古賀誠元自民党幹事長が「靖国にお参りするときは、心の中でA級戦犯は分けている」と述べているそうだが、そんないい加減な発言をするから靖国参拝をやっている間は、そういう政治家とはまともに付き合えないということになってしまう。

 あの戦争をどう見ているのか、戦争責任は誰が負うのか。それを率直に話せないなら、首相を代わってもらうまで待つしかないと(中国側が)判断しても仕方がないのではないか。(首相交代を待つという)その部分だけ取り上げれば、ずいぶん失礼な話ではあるが、なぜそんなことを相手が言うのかよく考えてみないといけない。

 中国が一番求めていることは、日本が再び侵略するような軍事大国になってほしくないということだ。だからそれに反するようなことは何が起きようと中国は文句を言うだろうと思う。

 私が大使として北京に在勤中も一番の問題は靖国問題だった。ちょうど今と同様、中国と韓国が大騒ぎした。だが当時の胡耀邦総書記は知日派で、日中国交正常化の原点に立った人だった。いろいろ問題はあるが話し合いで解決しようと、自ら「中日友好発展についての4項目の意見書」を出された。その意見に基づき日本側も努力し、当時の中曽根康弘首相も参拝を控えようということになったわけだ。

 日本と中国は、制度もイデオロギーも違う。しかし、その相違があっても平和友好を築くべきだし、築くことが可能であると共同声明に合意しているのだから、その原点に戻って努力すべきだ。(談)

{中江要介(なかえ・ようすけ)}
日本日中関係学会名誉会長。大正11年生まれ。京大法学部卒業後、外務省入省。条約局法規課長、アジア局長などを歴任。昭和59年から中国大使を務め、62年、退官。

2006年04月26日 産経新聞5面記事
インテリジェンスについて語ろう(4) 米朝危機に緊張走る - 大森義夫氏
2006年04月26日
{大森義夫}
昭和14年東京都出身。66歳。東京大学法学部卒。38年警察庁に入り、鳥取県警本部長、警視庁公安部長、警察大学校長などを経て、平成5年内閣情報調査室長に就任。9年まで宮沢、細川、羽田、村山、橋本の5代の内閣で室長を務めた。17年には外務省の「対外情報機能強化に関する懇談会」の座長として、インテリジェンス機関「対外情報調査庁」の創設などを盛り込んだ答申をまとめた。現、NEC顧問。


《平成6年2月、訪米した細川護煕首相(当時)は、クリントン大統領(同)と会談。アメリカが北朝鮮の核施設爆撃の可能性を検討していることを知らされる。日本政府に衝撃が走った》

-- 米朝開戦となれば、日本も大変なことになる。アメリカの決意を聞いた細川首相は緊張したでしょうね。

大森 メディアでは経済問題が大きく取り上げられていたのですが、(首脳会談の)一番の話題は北朝鮮問題でした。細川首相が帰国した翌日、私と内閣安全保障室長が、石原信雄官房副長官(同)に呼ばれ、プロジェクトチームを立ち上げるように指示を受けました。私は、北朝鮮情勢について。安保室長は日本ができる対策を中心に検討することになったのです。

-- 当時、実際にアメリカが武力行使に踏み切る、という認識があったのですか。

大森 空爆の一歩手前とまでは思いませんでした。クリントン政権が攻撃を検討したのは間違いありませんが、百のうちどこまでか・・・。まずは、アメリカが海上封鎖をし、(北朝鮮に向かう船舶を)臨検するという事態を想定し、日本として何ができるかを考えました。

-- このときの米朝危機は6月のカーター元大統領の電撃的な訪朝で集結しました。

大森 あれは北朝鮮外交の勝利でしたね。必死の工作でカーターを口説いたのです。日本は訪朝の動きを具体的に知りませんでした。
 そして、米朝和解となったために、国家の緊急事態に対する検討も、いっぺんに”お蔵入り”になってしまった。いい勉強をしたとは思いますが、日本として、いろんなことを議論するチャンスを失ったのは残念でした。歴史の転換点だったと思います。

-- その蓄積は今に生かせないのですか。

大森 うーん。ゼロではないと思いますが、人も代わってしまいましたしね。当時、国内の連立政権内部のゴタゴタも痛かった。

-- カーター訪朝の直後に、北朝鮮の金日成主席が急死しますね。

大森 本当に驚きました。あのときは、村山富市内閣が発足した直後で、政治的な不安定さもあり、緊張感は相当なものでした。それが、アメリカの衛星写真によって、北朝鮮内で大規模な軍の移動がないことが分かり、落ち着きを取り戻しました。緊急の有事がない明確な保証が得られたわけですから。この件で改めて情報衛星の必要性を痛感しました。

-- このとき、衛星の導入を訴えて大森さんが怒りを爆発させたそうですね。

大森 そんなことはありません(苦笑)。ただ、近海にミサイルを撃ち込まれても、第三国に指摘されるまで分からず、自力で検証できないのはおかしいと言ったのです。

2006年04月26日 産経新聞2面記事
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