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国連再考 第1部 (9) ‐ 常任理事国への壁
2003年08月06日
 日本は国連に切ない恋心を寄せてきた。 だが当の国連の素顔は日本が思い抱いた魅惑の相手とはほど遠く、日本をいささかでも恋う思いもなかった。 その意味では完全に片思いだった。 この片思いのむなしさの卑近なほんの一例が東京の青山にそびえる国連大学なる施設だろう。

 日本にとって国連に入ること自体が悲願だった。 独立を回復してすぐの一九五二年六月、国連への加盟を申し込んだが、ソ連の拒否権でついえた。 その後、二度も申請したが、やはりソ連に拒まれた。 やっと加盟を果たしたのは五六年十二月と、当初から四年半も後である。

 しかも国連憲章には日本を敵国とみなす条項があった。 憲章は第二次大戦が終わる前にできたため、日本とドイツを「この憲章のいずれかの署名国の敵国であった国」として特殊扱いしていた。 日独両国に対しては国際社会の現状維持に反する行動があるとみなせば、国連の統制を受けずに武力攻撃してもよい、という意味の規定だった。

 日本はこの敵国条項の削除を何度も求めた。 同条項は文字だけで実質的な意味を失ったという解釈もあるが、日本にとって屈辱的な記述はなお変わっていない。

 なのに日本は国連に涙ぐましいほど依存しようとした。 加盟直後から外交政策の柱に「国連中心主義」を掲げた。 国連の経費負担でもどの国よりも前向きに貢献した。 国連の活動の核心である安全保障理事会にも熱心に加わり、九〇年代前半までにすでに八回も非常任理事国になって、最多記録を作っていた。 そして日本政府は九三年七月、安保理常任理事国となることへの意志を初めて公式に表示したのだった。

 しかし日本のこうした国連への姿勢には実は越え難い断層がひそんできた。 特に安保理への参加にその断層は巨大な矛盾となってつきまとう。 この矛盾とは簡単に言えば、国連が最大目的とする世界の平和と安全を守るための集団的安全保障を日本は自国には禁じていることである。

 国連では侵略や戦争を各国が集団体制を組んで抑えにかかる。 その抑える作業は最悪の場合、各国の軍隊が国連軍でも、多国籍軍でも、集団を組んでの軍事力行使となる。 その軍隊を出す各国は自国領土が攻撃されているわけではない。

 ところが日本は憲法第九条の解釈により、集団的自衛権の保有はしていても、行使はできない、とする。 自国の領土を個別に守る個別的自衛権以外にはいかなる場合でも軍事力を行使してはならない、というのだ。 となれば、国連でも日本は他国とは異なり、集団での安全保障や平和維持の軍事行動には加われない。

 国連安保理は日本とは逆に集団での軍事行動を実施する母体である。 とくに常任理事国はその中核となる。 日本がその常任理事国となった場合、自分には禁じていることを他人にさせる、という立場になるわけだ。

 日本政府が常任理事国入りの意向を初めて公式に表明したとき、米国のクリントン政権は支持の構えをみせた。 だが議会では反対の動きが起きた。 上院で米国政府は日本の常任理事国入りは日本がふつうの軍事行動ができるようになるまで支持してはならない、という決議案があっという間に成立してしまったのだ。 先頭に立ったのは知日派のウィリアム・ロス上院議員(共和党)だった。 九三年七月末に上院全員一致で可決された同決議は次のようにアピールしていた。

 「日本は憲法の独自の解釈により国際安保活動なしには国連の安保理は通常の機能を果たせない。 その結果、日本は自国が参加不可能とわかっている国連の軍事行動を決定し、左右し、アメリカなどを他の国のみの軍人の生命を危険にさらすことになる。」

 要するに自分ができないことを他人に指示して、させる立場には立たせないぞ、という警告だった。 自分ができないことを他人にさせるのは明らかに不公正であり、偽善だろう。 集団的自衛権禁止と国連安保理活動との矛盾は国内でも真剣な議論のテーマとはなっていない。 国連への片思いはこんな重大な課題への目をも曇らせてしまったようなのだ。


古森義久氏 産経新聞2003年8月6日付朝刊記事

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