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[元米陸軍大尉加藤喬氏 談話] 名誉除隊 8
2006年02月28日
 {米国防総省外国語学校日本語学部長 加藤喬(かとうたかし)さん}

《湾岸戦争の「砂漠の嵐」作戦(1991年)に参加。シャワー中に、化学弾頭を搭載した可能性のあるスカッド・ミサイルの攻撃を受ける。防毒マスクを掴み地下防空壕に飛び込んだ。》

---- 間一髪、良かった・・・。

加藤: ところが、既に地下壕に避難していた20人と私の間には「生者」と「死者」を分ける、避けがたい一線が引かれていたのです。

---- どういうことですか。

加藤: 化学兵器の中には、肺からだけではなく、露出した皮膚からも吸収される種類があります。ところが、自分はマスクしか装着していない。皮膚から侵入する化学剤に呼吸器系を侵され、泡を吹いて”死の舞”を踊りながら窒息死する自分を想像しましたね。もっともスカッド・ミサイルの精度は劣悪で、何もない砂漠の真ん中に落ちた。おかげで、今こうして、話すことができている、というわけです(笑い)。

---- だが、危険はそれだけではなかった。

加藤: 夜中に砂漠で銃撃を受け、相手の正体も分からぬまま応戦しました。あの時も「生きている」ことを自覚させられました。

---- 日本政府は130億ドルもの資金援助をしましたが、クウェート政府発表の「感謝国リスト」に入れてもらえなかった。危険と隣合わせで汗を流した"日本人"として、どう感じましたか。

加藤: 当時「日本は金は出すが、汗も血も流さない」と叩かれました。「憲法第9条の制約上、無理からぬ決断だった」との弁解もあるでしょう。しかし同時に、「日本さえ平和であれば良い。外国のいざこざには巻き込まれたくない」という一国平和主義が、国際社会では通用しないと思い知らされました。

---- 「日本の常識は、世界の非常識」を、まさに体現してしまいましたね。

加藤: 主権国家でありながら、自国や盟邦の安全は他人任せ-という”日本の常識”が、国際社会の面前で木端微塵にされた瞬間でした。実を言えば、私も日本の学校教育で「軍隊さえなければ世界は平和になる」と教わり、そう信じていた時期がありました。しかし、他人の命や尊厳を顧みない者はいついかなる世界にもいます。そんな冷血漢が武器を持って自宅に押し入ってきたとき、護身術の心得がなかったらどうやって妻や子供の命を守るのか。愛する者たちを守るのは、最後には自分しかいないのです。

---- 国のレベルでも同じことですね。

加藤: 米国の単独行動や先制攻撃政策と日本人の感覚の間に、微妙なズレが生じた今こそ、日本人一人ひとりが「身を守ること」ひいては「国を守ること」とはどういうことなのか、「自分達が何をせねばならぬのか」を問う時代に来ています。

=おわり
(聞き手 野口裕之)
2006年02月28日 産経新聞2面記事
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