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[元米陸軍大尉加藤喬氏 談話] 名誉除隊 6
2006年02月26日
 {米国防総省外国語学校日本語学部長 加藤喬(かとうたかし)さん}

---- 米国籍を持つ米陸軍退役将校で現役の米軍属ですが、仮に日米開戦の悪夢が再び起きたら、日米どちらのために尽くしますか。

加藤: ”二つの祖国”問題では長年、悩み続けました。そうした中、1990年にワシントンから1時間ほど北上したメリーランド州アバディーンの陸軍武器科学校に小隊長として赴任し、兵器博物館を訪れた際、ようやく答えを見いだしました。

---- どのような体験をしたのですか。

加藤: 血染めの日の丸が展示されていました。「小室徹君、学徒出陣記念 昭和十九年十月三日」と読めました。恐らくは、遠く離れた敵国の博物館の片隅で何十年もの間、ほこりをかぶったまま、見る人も少なく、じっと時を過ごしたであろうこの戦利品にしばしくぎ付けになったのです。

---- なぜ、くぎ付けになったのですか。

加藤: 小室という人は「どんな人だったのか」「どんな志を抱いていたのか」「恋人はいたのか」「どんな思いで戦場に赴いたのか」「家族は日本のどこかで健在なのだろうか」と、次々に思いをはせました。すると、私の目と「小室」という若者の目が重なりました。その瞬間、「小室」の気持ちが何の違和感もなしに、私の心に流れ込んできたからです。

---- 「小室」の気持ちを、どのようにくんだのですか。

加藤: 博物館の解説や日の丸の状況などからの推測ですが、残念ながら「小室」が戦死した可能性は少なくありません。ですが、自分たちの命と引き換えに成った祖国・日本の再建と繁栄を見て、「小室」は異郷での早すぎる死に、いくばくかの安らぎと意味を見つけたのではなかろうか。だとすれば、自分たちのような運命を、後の世に生まれた日米両国民が再びたどらぬよう、日本人であり米国人である私に思いを託しているのではないか。そう感じたとき、体が震えました。

---- その結果、どんな「答え」を見出したのですか。

加藤: ”二つの祖国”のはざまに生きる私の使命は、日米が再び戦火を交えることがないよう献身すること。そう確信できました。「小室」たちが命と引き換えにした戦後の平和。その中で育ち、米軍将校となった私がその志を引き継がなければ、「小室」たちの死が無駄になってしまう。

---- 「小室」は生きる目標を与えてくれたと。

加藤: そうです。「小室」を終生、忘れないでしょう。1995年、熊本県での日米合同指揮所演習「山桜」の開幕式で、日米両国旗が掲揚、両国歌が吹奏されました。日本の青空にはためく2旒の国旗に敬礼したとき、単身渡米してから15年(当時)、ようやく”二つの祖国”の架け橋になりつつある自分を自覚できました。

(聞き手 野口裕之)
2006年02月25日 産経新聞2面記事
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