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インテリジェンスについて語ろう(4) 米朝危機に緊張走る - 大森義夫氏
2006年04月26日
{大森義夫}
昭和14年東京都出身。66歳。東京大学法学部卒。38年警察庁に入り、鳥取県警本部長、警視庁公安部長、警察大学校長などを経て、平成5年内閣情報調査室長に就任。9年まで宮沢、細川、羽田、村山、橋本の5代の内閣で室長を務めた。17年には外務省の「対外情報機能強化に関する懇談会」の座長として、インテリジェンス機関「対外情報調査庁」の創設などを盛り込んだ答申をまとめた。現、NEC顧問。


《平成6年2月、訪米した細川護煕首相(当時)は、クリントン大統領(同)と会談。アメリカが北朝鮮の核施設爆撃の可能性を検討していることを知らされる。日本政府に衝撃が走った》

-- 米朝開戦となれば、日本も大変なことになる。アメリカの決意を聞いた細川首相は緊張したでしょうね。

大森 メディアでは経済問題が大きく取り上げられていたのですが、(首脳会談の)一番の話題は北朝鮮問題でした。細川首相が帰国した翌日、私と内閣安全保障室長が、石原信雄官房副長官(同)に呼ばれ、プロジェクトチームを立ち上げるように指示を受けました。私は、北朝鮮情勢について。安保室長は日本ができる対策を中心に検討することになったのです。

-- 当時、実際にアメリカが武力行使に踏み切る、という認識があったのですか。

大森 空爆の一歩手前とまでは思いませんでした。クリントン政権が攻撃を検討したのは間違いありませんが、百のうちどこまでか・・・。まずは、アメリカが海上封鎖をし、(北朝鮮に向かう船舶を)臨検するという事態を想定し、日本として何ができるかを考えました。

-- このときの米朝危機は6月のカーター元大統領の電撃的な訪朝で集結しました。

大森 あれは北朝鮮外交の勝利でしたね。必死の工作でカーターを口説いたのです。日本は訪朝の動きを具体的に知りませんでした。
 そして、米朝和解となったために、国家の緊急事態に対する検討も、いっぺんに”お蔵入り”になってしまった。いい勉強をしたとは思いますが、日本として、いろんなことを議論するチャンスを失ったのは残念でした。歴史の転換点だったと思います。

-- その蓄積は今に生かせないのですか。

大森 うーん。ゼロではないと思いますが、人も代わってしまいましたしね。当時、国内の連立政権内部のゴタゴタも痛かった。

-- カーター訪朝の直後に、北朝鮮の金日成主席が急死しますね。

大森 本当に驚きました。あのときは、村山富市内閣が発足した直後で、政治的な不安定さもあり、緊張感は相当なものでした。それが、アメリカの衛星写真によって、北朝鮮内で大規模な軍の移動がないことが分かり、落ち着きを取り戻しました。緊急の有事がない明確な保証が得られたわけですから。この件で改めて情報衛星の必要性を痛感しました。

-- このとき、衛星の導入を訴えて大森さんが怒りを爆発させたそうですね。

大森 そんなことはありません(苦笑)。ただ、近海にミサイルを撃ち込まれても、第三国に指摘されるまで分からず、自力で検証できないのはおかしいと言ったのです。

2006年04月26日 産経新聞2面記事
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