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保守新時代 {第4部} 自民党と中国 - (上)2 対中配慮の軌跡 翻弄される日本
2006年04月05日
 中国の対日外交は、昭和47年の日中国交正常化以来、「友好」と「歴史カード」を使い分け、次第に巧妙化している。

 「中国は礼節の国だと思うが、それにしては李肇星外相の発言は品がない。昨年5月に呉儀副首相が小泉純一郎首相との会談をドタキャンしたのも、とんでもない」

 衆院外務委員長の原田義昭は3月22日の夕刻、東京・元麻布の駐日中国大使館を訪ね、大使の王毅に抗議した。李が記者会見の場で、首相の靖国参拝を「愚かで道徳に反する」「ドイツではヒトラーやナチスを参拝する指導者はいない」などとののしったからだ。

 王は「(外相は)ドイツ人の発言を引用しただけだ」と強く反論したが、「原田さん、中国に是非来てください」とリップサービスも忘れなかった。

 中国が「歴史カード」を切った最初は、昭和57年の教科書誤報事件だ。日本のマスコミが教科書検定で、文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたと報道。事実無根だったにもかかわらず、中国の抗議に官房長官の宮沢喜一は「政府の責任において是正する」と談話を発表した。

 以来、中国はことあるごとに歴史問題をとりあげてきた。そして中国の意向を無意識に支援する役割を担ってきたのが「親中派」の政治家だ。

 3月15日、憲政記念館で開かれた自民党旧宮沢派の流れを汲む議員らが呼びかけた「アジア戦略研究会」の設立総会で、衆院議長・河野洋平はこう熱弁をふるった。

 「宮沢首相による天皇訪中の決断が、日中関係を磐石なものにした」
 天皇、皇后両陛下が訪中された平成4年当時、中国は民主化を要求した学生らを弾圧、多数の死傷者を出した天安門事件の後遺症にあえいでいた。中国の国際イメージは失墜し、海外からの投資は激減した。

 宮沢は、党内の根強い反対論を押し切ってご訪中を閣議決定した。元外相の銭其シンは回想録で「中国が西側の制裁を打ち破る最も適切な突破口になった」と書いている。

 「カード」をもう一枚増やしたのが靖国問題だ。中曽根は昭和60年8月15日に靖国を公式参拝。ところが、翌年は中国の反発を受け参拝をとりやめた。

 中曽根は「参拝をやめたのは胡耀邦(当時の総書記)が私の靖国参拝で弾劾されるという危険性があったから」と後に記し、日中関係を重視した胡を守るためだったと説明する。胡は失脚したが、中国は、この経験から靖国問題の「外交カード」としての有用性に気付く。

 こうした外交手段とは別の、水面下での対日工作が知られるようになったのは最近だ。

 昨年末、在上海総領事館の電信官が、中国の公安関係者から女性関係で脅かされ、情報提供を迫られたのを苦に自殺したことが明るみに出た。

 平成8年には、当時の首相、橋本龍太郎に関する怪文書が、永田町に出回った。中国の公安関係者である女性と交際していたという内容で、国会でも取り上げられたが、「疑惑は、いまだ解明されていない」(公安筋)という。最近もポスト古泉候補の一人について週刊誌が同様の報道をした。

 一連の「怪情報」について、元公安調査庁第二部長の菅沼光弘は「中国側が流してきた」と話す。身に覚えのある者は「中国の要望どおりに動くようになるからだ」(菅沼)という。

 もっとソフトな懐柔工作もある。駐日中国大使館は昨年暮れ、北京駐在経験のある日本人記者数十人を招き「ギョーザ・パーティー」を開いたが、ゲストに人気の「女子十二楽坊」を呼び、生演奏でもてなした。

 中国は、日本から多額の円借款を引き出し、経済的にも着々と力をつけてきた。そして時折、本音も漏らす。1995年春、マレーシアを訪れた江沢民氏は、中国系の有力者を集めた会合で、こう宣言した。

 「21世紀になれば、遠からず中国の時代が来るでしょう。日本は今後、経済的にも政治的にも衰退していく」(敬称略)

2006年4月2日 産経新聞2面記事
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