cutting edge
スポンサーサイト
--年--月--日
国連再考 第4部 (09) ‐ 事務総長
2003年10月31日
 国連の顔はやはり事務総長だろう。 いまも国連といえば、すぐコフィ・アナン現総長の姿を連想させるほど、国連全体のイメージが事務総長のそれと重なりあっている。 国連憲章が決めた事務総長の任務や権限はそうしたイメージにともなう重要性を明示する。 事務局の行政職員の長であるだけでなく、国連の総会や安全保障理事会の事務を取り仕切るとともに、国際の平和や安全を脅かす事柄については事務総長が直接に安保理の注意を...

続きを読む

国連再考 第4部 (08) ‐ 分担金
2003年10月30日
 いかに崇高な国連の活動も資金がなければ、前に進まない。 ではその資金は誰が、どう、どれほど払うのか。 その国連の資金支払いの問題は国連の発足以来、加盟国の間のトラブルのもととなってきた。 民主主義の国家では国民の納税という義務が国政への参加という権利を生む。 納税がなければ、政治への参加はない。 ところが国連では個々の国ごとに納税という義務の度合いがあまりにかけ離れ、不平等な状態を作り出しているのだ...

続きを読む

国連再考 第4部 (07) ‐ 仮想の舞台
2003年10月29日
 「戦争への脚注」(ベトナムやカンボジアからの難民の窮状を描いているが、難民の原因であるポル・ポト政権の大虐殺に触れず、難民の苦痛は米国の受け入れ手続きのためだとする。 脱出に成功した難民百五十万の半数以上はベトナム戦争終結後の出国であり、米国が内八十万以上を受け入れたことも述べない) 「若さ」(ペルー、ルワンダ、日本、ソ連、米国などの若者の生活を描くが、ソ連では棒高跳び選手とその妻のスマートな生活を...

続きを読む

国連再考 第4部 (06) ‐ ILO脱退
2003年10月27日
 米国で長年の伝統ある反国連の思潮はなにも保守派や共和党のみに限られてはいなかった。 国連専門機関の国際労働機関(ILO)に対する一九七〇年代から八〇年代にかけての激しい反発と、その結果としての脱退はそうした思潮の幅広い浸透を物語っていた。 ILOはユネスコに似た地位の国連機関で、創設は国連本体よりずっと早い一九一九年だった。 第一次世界大戦の講和を決めたベルサイユ条約が創設の母体となっていた。 本部をジュ...

続きを読む

国連再考 第4部 (05) ‐ 無力のODA
2003年10月24日
 国連人権委員会は今年四月、日本人拉致を含む北朝鮮の人権弾圧を非難する決議案を審議した。 黒白があまりにも歴然とした決議案だった。 他国民を勝手に拉致することには非難する以外にどんな対応があろうか。 それでも表決では、委員会加盟の五十三カ国のうち十カ国が反対した。 他の十四カ国は棄権した。 反対は中国、ベトナム、キューバ、ロシアなどだったが、このうち中国とベトナムは日本が巨額のODA(政府開発援助)を長年...

続きを読む

国連再考 第4部 (04) ‐ シオニズム糾弾
2003年10月23日
 米国が国連への反発を強めていった一九七〇年代、その流れを決定的にした象徴的な出来事はイスラエル非難だった。 一九七五年十一月、国連総会はシオニズムを人種差別主義だと断じる決議案を可決した。 その後、長く国連の変質にからめて語られる国連決議三三七九である。 シオニズムとはユダヤ民族主義であり、より具体的にはパレスチナにユダヤ民族の郷土としての国家を築こうとする運動を意味していた。 その運動は十九世紀...

続きを読む

国連再考 第4部 (03) ‐ 非同盟の攻勢
2003年10月22日
 米国と国連との対立が目に見えて激しくなったのは一九八〇年代だとはいえ、その素地はすでに一九七〇年代に出来ていた。 国連の長い歴史でもこの一九七〇年代は最も複雑多岐な変質をたどった10年間だったともいえる。 この期間の国連は経済秩序をめぐっては新興諸国の攻勢が勢いを増し、米国などの先進諸国をたじろがせる一方、最大任務の平和と安全の維持についてはきわめて弱体な軌跡を描くこととなった。 植民地を脱した...

続きを読む

国連再考 第4部 (02) ‐ 米国の反発
2003年10月21日
 国連の創設を最も熱心に推進した米国が国連に最も激しく反発するようになった、というのも歴史の皮肉だろう。 今回のイラク戦争にいたる過程で米国の広範な層が国連への不信や忌避を強め、国連無効論が勢いを増したことはこの連載の冒頭で報告したとおりである。 だが米国では国連に反対する底流はずっと以前からとうとうと流れていた。 過去にさかのぼれば、その反発が理としても情として、最も激しくなったのがおそらく一九八...

続きを読む

国連再考 第4部 (01) ‐ 模擬演習
2003年10月20日
 国連の欠陥の指摘に対してはよく「でも国連にかわる国際機構はない」という反論がぶつけられる。 欠陥の指摘が説得力に富むほど、「だが国連をなくすわけには行かない」という代替不可能論が激しく放ち返される。 イラク問題でもフセイン政権へのあれほどの無力をさらけだした国連はいま米国から治安回復のための協力を求められると、自らにはもう何の問題もないかのようにまた歩み出す。 国連がこの世界にどのような貢献をして...

続きを読む

国連再考 第3部 (10) ‐ 行財政諮問委の謎
2003年10月03日
 国連という存在は知れば知るほど、複雑怪奇に見えてくる。 国連の各機関でも最大の権限をふるう組織の一つの「行財政問題諮問委員会」(ACABQ)の実態など外部の目にはまるで謎としか映らない。 同委員会は一九四七年に国連総会の決議でつくられた。 その任務はまず第一には二年間で総額二十七億ドルにものぼる国連通常予算の審査である。 国連事務総長が作成し、評価を総会に報告するのだ。 平和維持活動に関する予算も同時に審...

続きを読む

国連再考 第3部 (09) ‐ UNHCR
2003年10月02日
 数え切れないほどある国連の下部機関、関連機関でも国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は一般の共鳴を最も強く得る存在だろう。 戦争や迫害、飢餓で母国を追われた恵まれぬ人達を救うという人動的な活動は、幅広く感謝もされてきた。 特に日本では緒方貞子氏がトップの難民高等弁務官を二〇〇〇年末まで十年も務め、内外の高い評価を得てきただけに、この国連機関への敬意や親しみは深いと言える。 過去の二回のノーベル平和賞受...

続きを読む

国連再考 第3部 (08) ‐ 刊行物の「検閲」
2003年10月01日
 国連の各機関が出す報告や発表の文書は自己の活動の宣伝を第一義とするため、他者に対してはあたりさわりのない記述になることがまず常である。 だがなにしろ刊行物の量が膨大だから、この暗黙の原則を破る内容も出かかり、思いがけない騒ぎを起こすこともある。 そんな騒ぎの典型として記録されているのが国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)で一九八八年に起きた事件である。 スイス出身の当時のジャン・ピエール・オッケ高等弁...

続きを読む

/ Template by sukechan [ laughing cat custom version ]
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。