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国連再考 第3部 (07) ‐ 自己存在の誇示
2003年09月30日
 新鮮なタマゴ、腐りかけたタマゴ、割れたタマゴ・・・ 多様な種類のタマゴを豪華なカラー写真で印刷したカタログふう刊行物はさすがにベテランの国連官僚たちをもあぜんとさせた。 「タマゴ基準」と題された英文のこの報告書は一九九二年に国連の経済社会理事会のジュネーブに本拠を置く欧州経済委員会から発行され、国連のあり方に批判の目を向ける人たちの間では浪費のシンボルとして語り継がれてきた。 鶏卵のさまざまな種...

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国連再考 第3部 (06) ‐ 空疎な機関
2003年09月29日
 国連の各機関は世界のその時代、その情勢に応じ、分野ごとに新設されてきた。 時代が移り、情勢が変わっても、一旦設けられた機関はまず廃されない。 廃されるにしても、機関の不要が明白となってから実際の廃止までに長い年月がかかる。 どんな小さな機関の廃止にも国連総会の議決が必要であり、どんな機関でもそこにかかわる国家や官僚は既得権利の保持に必死となるからだ。 一九七四年に国連経済社会理事会の常任専門家組織...

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国連再考 第3部 (05) ‐ 付属機関
2003年09月26日
 「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」と述べたのはダグラス・マッカーサー元帥だったが、国連機関は「絶対に死なず、絶対に消えず」と評される。 一度、創設された付属機関や創設機関はいくらその当初の使命を達したとしても、廃止や閉鎖されることは絶対にないというのだ。 こうした実例として米国関係者の間でよくあげられるのが「放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCER)である。 同委員会は一九五五年十二月に国連総会...

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国連再考 第3部 (04) ‐ 米のユネスコ脱退
2003年09月25日
 国連の光と影、虚と実を劇的に示したのは一九八〇年代のユネスコ(国連教育科学文化機関)と米国のロナルド・レーガン政権との激突だろう。 ユネスコは国連大学の母体でもあり、国連の専門機関の一つである。国連専門機関はユネスコをはじめ国際労働機関(ILO)、国連食糧農業機関(FAO)、世界保険機関(WHO)など計二十近くを数える。 国連には国際的な平和と安全を保つという目的についで、経済的、社会的、文化的、人道的な国際問...

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国連再考 第3部 (03) ‐ 運営負担の悲喜劇
2003年09月24日
 「われわれは日本政府が北朝鮮を招待しなかったことを北朝鮮政府に対して謝罪し、また北朝鮮の人々との討論の機会を奪われた本会合の参加者に対しても謝罪し、北朝鮮が正当な参加者であることを明確にするために、本会合の報告でもこれら謝罪を明記することを要求する」 今年一月、東京渋谷区の国連大学で開かれた「コミュニケーションの権利」集会の参加者たちは、こんな高圧的な謝罪の要求を読み上げた。同時期に東京で開催さ...

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国連再考 第3部 (02) ‐ 丸抱えの招致
2003年09月23日
 日本の官民がかつて国連大学を国内に開くことにどれほど熱意を示したか。 その熱意に国連の他の諸国がどれほど冷淡に対したか。 その記録をたどると、日本の国連にかける情念のようなひたむきさが改めて浮かび上がる。 国連大学は一九六九年に当時ノウ・タント国連事務総長により構想が提示された。「多数の国からの教授陣と若い男女の学生からなる」という教育機関としての大学の構想だった。ところが国連の主体となる先進諸国...

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国連再考 第3部 (01) ‐ 国連大学の怪
2003年09月22日
 日本国内で国連を感じさせる組織といえば、東京都渋谷区にそびえる国際連合大学であろう。 青山通りに面したピラミッド型地上十四階の豪華なビルは人目を引くが、内部にある国連大学の実態について知る日本国民は少ない。 国連大学というのは奇怪な機関である。 大学であって、大学でない。 一般の意味の大学に不可欠な学生も教授もキャンパスに存在しないからだ。 国連であって、国連でないとさえいえる。 公式には国連総会の...

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国連再考 第2部 (10) ‐ 金縛りの平和維持
2003年09月20日
 ソ連のニキータ・フルシチョフ首相が国連総会の議場で靴を脱いで、振りかざし、テーブルに叩きつけたのは一九六〇年十月十三日だった。 フィリピン政府が演説し、「ソ連は東欧を飲みこみ、政治や市民の権利を奪ってしまった」と非難したときである。 フルシチョフ首相はこの年の国連総会に出席するためにニューヨークに三週間も滞在した。 同総会にはアイゼンハワー(米)、マクミラン(英)、ネール(インド)、ナセル(エジプト)、チ...

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国連再考 第2部 (9) ‐ 東西から南北へ
2003年09月19日
 国連の最初の十年間は「西側陣営の国連支配の時代」とも評された。 国連の平和・安全の維持という主機能が東西冷戦での対立ですっかり抑えられたとはいえ、国連全体としての主導権は米国を中心とする西側諸国がしっかりと握っていたからだった。 その最大の理由は単純な数字だった。 国連が正式にスタートして二ヵ月の一九四五年末の時点では加盟国計五十一ヶ国のうち、ソ連が統括する東側陣営にはっきり色分けされるのはわずか...

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国連再考 第2部 (8) ‐ 朝鮮戦争
2003年09月18日
 国連が本来、意図した機能を果たしたのはただの一回、単なる事故のような偶然からだった‐‐‐。 東西冷戦時代を通じての国連の無力が論じられた際によく聞かれた指摘である。 このただ一回の例外が朝鮮戦争への国連の対応だとされるのだ。 一九五〇年六月二十五日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の大部隊がなだれをうって、北緯三八度線を越え、大韓民国(韓国)領内への攻撃を開始した。 朝鮮半島にはたまたま将来の統一を検討...

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国連再考 第2部 (7) ‐ 芝居の舞台
2003年09月17日
 「国連は芝居の舞台として機能するようになった」 国連合同監査団の監査官だったフランス人国際政治学者のモーリス・ベルトラン氏は一九四五年十月に発足してから数年後の国連についてこう総括した。 加盟各国は国連をただ相手への非難をぶちまける政治宣伝の場所とみなすようになった、という痛烈な批判だった。 イギリスの国連代表団の高官だった国連の歴史研究家エバン・ルアード氏は白書「国連の歴史・一九四五ー五五年」...

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国連再考 第2部 (6) ‐ 真摯な決意
2003年09月15日
 国際連合の創設を正式に決める全連合国会議が一九四五年四月にサンフランシスコで開かれ、「戦後世界の平和と安全」への希求が語られたとき、日本では米軍の連日の爆撃で皇居や明治神宮までが焼かれ、「本土決戦」や「一億総玉砕」が叫ばれていた。 サンフランシスコ会議が同年六月に国連憲章への五十ヶ国の調印を得て、国連を事実上、スタートさせたときも、日本は唯一の枢軸国として連合国への血みどろの抗戦を試みていた。沖...

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国連再考 第2部 (5) ‐ 中国とフランス
2003年09月12日
 国連はしょせん第二次世界大戦の勝者が戦後の国際秩序を統治するためのメカニズムとして意図されていた。 その勝者は安全保障理事会の常任理事国として拒否権という特権を与えられた。 米国、イギリス、ソ連、フランス、中国の五ヶ国である。 この構成は国連誕生から五十八年後のいまもまったく変わらない。 だが勝者の条件とはそもそもなんだったのか。 広い意味ではドイツ、日本、イタリアという枢軸国と戦った連合国が勝者だ...

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国連再考 第2部 (4) ‐ 拒否権
2003年09月11日
 「とてもナイスで、ものわかりが良い人物」 ダンバートンオークス会議のソ連首席代表のアンドレイ・グロムイコ駐米大使はイギリス首席代表のアレクサンダー・カドガン外務次官からこう評された。 その後の長い東西冷戦時代にソ連外相として西側を揺さぶり、悩ませることになる人物の特徴描写にしては意外である。 ソ連の国連創設への当時の取り組みは米英側が予想したよりはずっとスムーズで柔軟だった。 だからこそグロムイコ...

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第2部 (3) ‐ 国際連盟の教訓
2003年09月10日
 「『効果的な国際機関』という表現を明記するだけでも国内には疑惑や反対が渦巻いてしまう」 国連の最大の推進者となる米国のルーズベルト大統領はイギリスのチャーチル首相に当初はそう告げて、国連ふう国際機関の設立意図の表明へのためらいを伝えていた。 第二次大戦でドイツ軍の進撃が激しい一九四一年八月に米英首脳が発表した大西洋憲章の草案作りでのやりとりだった。 チャーチル首相が同憲章に将来の国際平和の保持の...

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国連再考 第2部 (2) ‐ 敵国条項
2003年09月09日
 国連のゆりかごを編む場となったダンバートンオークス邸は日本の書籍類ではワシントン郊外とされるが、実際にはワシントン市内、ホワイトハウスからほんの三キロほどの首都の中心部に位置する。 赤い煉瓦塀に囲まれた美しい欧州スタイルの庭園と邸宅は米国外交官ロバート・ブリス夫妻によって築かれ、国連創設の会議が開かれた一九四四年にはハーバード大学の所有となっていた。 厳密には「国際機関についてのワシントン懇話」...

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国連再考 第2部 (1) ‐ 呼称
2003年09月08日
 壮大なる誤訳とでも呼べようか。 少なくとも本来の言葉を訳す側が理想への願望からねじ曲げた切ない曲解とはいえるだろう。日本語での「国際連合」という呼称と英語の「ユナイテッド・ネーションズ (United Nations)」という原名の間にはそんなギャップが存在するのである。 国連の創設はそもそも第二次世界大戦中の一九四四年の夏から秋にかけてのダンバートンオークス会議で骨子が決められた。 米国の首都ワシントン旧市街の...

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